なかちゃんの考えるマルチアンプシステムについて

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久しぶりの更新にあたって

約5〜6年ぶりの更新となります。一部に更新を待っているとの声も頂きました。
大変長らくお待たせし、誠に申し訳ございませんでした。

今回の更新までの間、自分を取り巻く環境も大きく変わり、またその間の精神状態や時間的制約に甘えて更新をズルズルと引き伸ばしてしまいました。

お詫び申し上げます。

 さて、前回の予告で「その3」にてなかちゃんの10年間にわたるマルチアンプシステム構築の歴史を語りますと申し上げておりました。しかし、更新までの間に心境の変化などもありいきなりマルチアンプシステムについてのお話をさせていただくのではなく、何故なかちゃんがオーディオを始めたのか、その間にあった出来事など、自身の半生という程のものではありませんが今回の更新にあたり更に私がマルチアンプシステムにたどり着くまでの、オーディオに興味を持ち趣味として始めるに至ったお話をさせて頂こうと思い、敢えてページNO.を「その3」ではなく「その2.5」とさせて頂きました。

なかちゃんの昔話なんか興味ないという声も聞こえてきそうですが、そんな時はアホな男の戯言程度に軽く流して下さいませ。

 私が小学生の頃はCDプレーヤーというものはまだ発明されておらず専らレコードによる音楽鑑賞が主流の時代だった。我が家にはまだオーディオと呼べるものなどなく当時手頃だった(ように思う)いわゆる「てんとう虫レコードプレーヤー」と呼ばれるものがあった。
子供ながらに親に買ってもらったレコードをプレーヤーの針先を不思議そうに眺めながら聴いていたものだ。レコードといっても何かの付録だった当時のアニメ(この頃はアニメという言葉はなくマンガと言っていた)ジェッターマルス(鉄腕アトムのそっくりアニメ)のソノシートを聴いていた。(ソノシート:呼び名の由来は知りませんが、薄っぺらい半透明の向こうが透けて見えるレコード)
テレビではキャンディーズやピンクレディ、ジュリー(沢田研二)に郷ひろみなどが全盛でドリフの「8時だよ全員集合」などは毎週欠かさず見ていた。
オーディオに目覚めるのはまだまだ先のことである。

 中学生になってから途中入部ではあったが吹奏楽部に入部した。特に音楽に興味があった訳ではないのだが、なにか部活をしようと思って何気なく吹奏楽部にしただけだった。ただ、そうなると欲がでるもので入部申し込み時にトランペットを吹きたいと要望したが「今、トランペットは空いていない。ドラムならいけるよ」と顧問の先生に言われ「じゃあそれで」と答えてそのままドラム担当になった。しかし、1ヶ月後に入部してきた女の子がトランペットを吹いていた。
この時に初めて気づいた、単にドラム担当が足りなかっただけだったんだと、騙された・・・
まあでもドラム担当になったおかげでちょっとしたバンド活動をしたりすることにもなった。
音楽に興味を持ちだすキッカケになったのだと今では思う。

 しかし、このあと色々不幸な事があり10数年間の極貧生活を強いられる事になってします。
その中でも音楽を聞きたいと思う気持ちがどこかにあり、安物ではあったがラジカセをなんとか手に入れて友人にカセットテープのダビングをさせてもらったりして音楽を聴いていた。時には粗大ゴミから拾ってきた学校教室の放送用スピーカーを細い導線でどういう風にしたのか忘れたが、ラジカセとつないで聴いたりもした。

 生活に余裕が全くなかったため、17歳の時からバーテン(喫茶店です)のアルバイトを始めそのまま23歳頃までその仕事を続けた。
地べたに這いつくばる様な苦しい生活に、ある種の絶望感を抱きながらもがむしゃらに働いた。
とにかく前に進むしかなかった。
時代はバブル絶頂、皆が羽振り良く遊びまくり、ジュリアナだなんだのと浮かれている時に遊ぶことも出来ずに地下街でモグラの様に働いていた。そのためか青春時代の思い出といえば仕事のことしか思い出せない。今となってはそれもいい思い出なのだと思えるようになったが。

 しばらく経って給料のほとんどは生活のため親に渡していたが残りで少しづつオーディオ機器を集め出せるようになってきた。
頑張って買ったのはAIWAのミニコンポ「CDS909」というモデルだった。当時はいわゆるミニコンポ全盛でPIONEER「PRIVATE」シリーズやKENWOOD「ROXY」シリーズなどが大人気だった。
なかちゃんはへそ曲がりなのかそんな中で敢えてAIWAのミニコンポを選んだのである。自分なりの理由としてカセット部が3HEAD構成であるとかダブルテューナーダブルイコライザーでテューナーとCDを同時録音しながら、ラジオの裏番組が聴けるなどの超多機能に惹かれた結果である。実際そんな使い方はほとんどしなかったが。
でも、意外と音質は良くしばらくの間気に入って使っていた。
この頃、以前バンドでも演奏していた高中正義の曲を好んで聴いていた。しかし、彼の曲調が16ビートから8ビートに変わったのを境にあまり聴かなくなった。その後は久保田利伸や大沢誉志幸などをよく聴いていた。彼らの曲は今でも好きだが、大沢誉志幸のSERIOUS BARBARIAN3部作は今でも好きでたまに聴いている。
 そうこうしている内にオーディオ雑誌を読むようになり、単品オーディオについて知り始める。
しばらくは、いいなぁ〜と思い眺めているだけだったがやがてその気持ちは欲しいという気持ちに変わっていく。
この時、まだ経済的な余裕はほとんどなかったので、またせっせと頑張って少しづつ集めていく事になった。
初めて組んだ単品システムはアンプがオンキョー A-701XD、CDプレーヤーがDENON DCD-1630G、スピーカーが
オンキョー D-77XD、カセットデッキがAIWA XK-009だった。

ONKYO A-701XD

DENON DCD-1653G

ONKYO D-77XD

AIWA XK-009

 この中でも最も気に入っていたのがAIWA XK-009だった。音質はストレートで癖がなくCDの音がそのまま録音出来るとさえ感じていた。もっともダイナミックレンジはCDのそれに及ばずやや圧縮されるが、搭載されているdbxシステムをONにするとダイナミックレンジが拡大され違和感はグっと少なくなる。dbxをONにすると微妙に音質に硬質感がつかなくもないが、あまり気にしていなかった。

 CDプレーヤーのDENON DCD-1630Gは内部のコンデンサーを10年程前まで製造されていた高音質で有名だった
ジェルマックスのBLACK GATEに交換し、電源のフィルターコンデンサーに100μF程度のBLACK GATEと同じジェルマックスのフィルムコンデンサー スーパーツイストLにメーカーは知らないがVITAMIN Qというオイルコンデンサーをパラ接続した。(スーパーツイストLとVITAMIN Qの容量は帯域バランスを考えて選んだが数値は失念しました。)
これがまた効果絶大。音の厚みは飛躍的に向上し潤い感、重量感が出て音楽の表情もすごくリアルになった。
当時30万円クラスのCDプレーヤーの中でも特に音質が良いと言われていたモデル(型番忘れました)と比べてもこちらの方が音質が良かったぐらいである。

この頃はデノンではなく
デンオンといった。

AIWAの高級オーディオEXCELIAシリーズの
トップモデル

プリメインアンプA-817XDに
D/Aコンバーターを搭載した
モデル

当時のなかちゃんシステム
畳の6帖間でオーディオにとっては決して条件が良いとは言えず、スピーカー台の下にブロックを置いたりと細々と対策していた。
この頃はサラウンドも行なっていたが、現在の様な
デジタルシステムはなくアナログのドルビーサラウンドである。そのサラウンドの音質は今のdtsなどとは比べるべくもなく、ちょっとそれっぽい程度であった。普段の音楽鑑賞はもちろん2chステレオ再生で聴いていた。
しかし、当時写真を撮る習慣がなかったなかちゃんだが、よくこんな写真が残ってたなと、今更ながらに感心してしまった。
 この頃と前後して今までしていたバーテンの仕事を辞めた。その後2ヶ月程派遣の仕事をしたがあまりの待遇の悪さに(その会社だけだと思うが)社長室で大声で思いっきり文句を言って辞めてしまった。この後また2ヶ月程時間を作って車の免許を取った。そして次の仕事をどうしようか考えていたが、どうせなら趣味のオーディオに関係した仕事がしたいと思うようになり日本橋界隈を徘徊していたところある老舗オーディオ専門店で社員募集の張り紙を見つけた。すぐに店にいた店員さんに募集について聞いてみた。そして担当者に取り次いでもらい面接に。
採用が決まり希望の部署を聞かれたのでオーディオ売り場と答えたが、配属されたのは何故か配送課だった。
配送助手として冷蔵庫、洗濯機などの配達、取り付けを行なった。たまにテレビやビデオの配達があったのでここでその取り付け方を覚えた。ここの配送課に私のオーディオの師匠となるI氏がいた。入社後しばらくしてオーディオにすごく興味がある事を話したら、一度I氏の自宅にオーディオ聴きに来ないかと誘われたので喜んでお邪魔した。
 この事が私のオーディオ人生の本当の始まりになったのだと、今振り返って思う。
I氏の部屋に入り置いてあるシステムを見て、「うわぁ、パワーアンプが3台もあるんですね」と言ったら、これは3WAYマルチアンプと言うんだよと返事」が返ってきた。「マルチアンプ?」この時、なかちゃんはまだマルチアンプというものを全く知らなかったのである。そしていよいよ音出し。I氏がCDプレーヤーにCDをセットし再生ボタンを押した。音楽が流れ始める。
「!!!!!!!!!!!!」なかちゃんは驚愕した。
「なんじゃぁこりゃあ!!!!!」そのあまりのリアルな」再生音にひっくり返りそうになった。
次の瞬間、なかちゃんは徐にに立ち上がり、スピーカーの後ろ側へ行きスピーカーを指さしてI氏に「この中に人が入っているんだね」と言った。爆笑された。冗談で言ったのだが半分真面目に言ってもいた。
それ程の凄まじさだった。それに比べれば自分のシステムなどリアルというには程遠いものであった。
すぐにマルチアンプとは何かを教えてもらい「俺もマルチアンプやるっ」と答えていた。
それから数年間I氏の部屋に通い続ける事となる。

すぐにマルチアンプシステムを揃える余裕はなかったのだが、あまりの音質の差に今の自分のシステムでは満足出来ず、スピーカーの買い替えをする事にした。そのため、必死に働いた。
そして今度はVICTORのSX-900というスピーカーを導入した。ONKYO D-77XDが4セット程買える様なスピーカーだった。入れ替えてすぐ、その音質の違いに喜んだものである。

この会社では1年半程働いたが一緒に配達に廻っていて、先に会社をやめて新しく出来たほかのオーディオ店に勤め始めたI氏の仲介がありなかちゃんもその店に勤め始めた。ここではオーディオに触れる機会も多く、色々な機器の音を聞くことが出来た。

ある日I氏の友人T氏の内に2人で遊びに行く機会があった。T氏もI氏と同じくマルチアンプシステムで音楽聴いていた。T氏の装置はI氏とは全く違うモデルの組み合わせであったが、再生直後に、I氏の再生音とは異なる、T氏独自の再生音が鳴り出した。その音は非常にスムーズでムケが良く、空間の温度感はやや冷たい印象だったが今まで聴いたどの装置とも違うダイレクトな印象だった。その音がなかちゃんの中にある何かのスイッチを入れてしまったようだ。「この音は!! これ、この音を自分も出したい!」と思わず口にしていた。
それを聞いたI氏とT氏は揃って「じゃあ、ホーンスピーカーがいいね」と言った。なかちゃんは「ホーンスピーカー?」と聞き返した。ホーンスピーカーの存在は知っていたが、ホーンスピーカーがどんな音を出すのか、この時はまだよく知らなかったのである。

VICTOR SX-900
ウーファーは31.5cmでONKYO D-77XDの28cmより一回り大きく、ツィーターとスコーカーはダイヤモンド蒸着振動板という当時としてはかなり豪華な仕様だった。
音質はスムーズで非常に音色感が良く音楽を聴くのがより楽しくなった。

 暫くSX-900を導入したシステムを楽しんだ後、次になかちゃんのシステムに加わるのはCDプレーヤーだった。
会社の高級オーディオ売り場にあったESOTERIC(TEAC)のP・2/D・2というCDプレーヤーを聴いて、なかちゃんの中で欲しい欲しい病が発動してしまった。また一生懸命働いた。そして・・・買った。
早速自分の装置に繋いでその音質向上に喜んだものだった。このP・2/D・2は今でもなかちゃんのシステムとして稼働中である。途中トランスポーター(デジタル信号読み出し部)を後継モデルのP・2sのメカへとバージョンアップはしたが。

ESOTERIC P・2/D・2

P・2/D・2はドライブメカ(デジタル信号読み出し部)のP・2とD/Aコンバーター(デジタル信号→アナログ信号変換部)の2ボディ構成のいわゆるセパレートCDプレーヤーである。
特にP・2のメカ部であるVRDSシステムはドライブメカとしては最高の出来で
現在でもVRDSーNEO(SACD対応)として現役の画期的なメカである。

付属のP・2とD/2を繋ぐデジタルケーブル(VAN DEN FUL製)の音質はいまいちで、色々とほかのケーブルを使って、今は少し前にESOTERICが出していたERCA-100というケーブルに落ち着いている。中身は日立電線の6N-LCOFCを改良したものでエネルギー感がありヌケも良く非常にダイレクトな質感である。オリジナルの日立電線6N-LCOFCの持っていたステージの天井の低さも感じられず、オーディオ販売をしていた頃は良くお客様に薦めて購入して頂いたものです。
沢山のお客様に喜んで頂けました。

P・2のメカ部
ディスクの上部に頑丈なブリッジがあり、そこに付いている亜鉛ダイキャストのターンテーブルでディスクを固定し回転の安定性、信号の読み取り精度を向上させている。

P・2sのメカ部
P・2で亜鉛ダイキャストだったターンテーブル部が真鍮とアルミのハイブリッド構成となりより共振を抑え、読み取り精度を向上させることで音質も向上している。

ホーンスピーカーについて色々理解したところで、T氏が徐ろに押入れを開けた。中には大きな木で出来た箱が入っていた。「これ持って帰る?」とT氏が言った。「これ何ですか」となかちゃんが聞き返すとT氏とI氏が2人がかりで箱を押入れから取り出した。その箱一面には大きなウーファーユニットが付いていた。「これTADのTL1601aだよ」とT氏。なかちゃんは「ええ〜っTAD TL1601aっていったらホーン好きの憧れのユニットじゃないですかっ!」と思わず大きな声で答えた。T氏は「そうそう、その1601ね。もう使わないからあげるよ」言う。「本当にもらっていいんですか!」となかちゃん。「いいよ、持って帰り」とT氏。なかちゃんは「じゃあ、下さい!!!」と言って感動していた。そのあと3人がかりでなかちゃんの部屋まで運んだ。重かった(60〜70kg程ある)一緒に使わなくなったFOSTEXのホーンとドライバー(中高域ユニット)も貰った。
これがキッカケとなりなかちゃんのマルチアンプシステム化が本格的に始動する事となる。
この時貰ったTAD TL1601aは現在でも現役でなかちゃんのマルチアンプシステムの低域を受け持っているなくてはならない宝物のひとつとなった。

この時、よく聴く音楽はI氏やT氏の影響をモロに受けてアイドル系の歌謡曲が多くなっていた。
特におニャン子クラブのメンバーが出していたそろアルバムが多かった様に思う。
もっとも、アイドルの歌なんてと思っていたなかちゃんは彼女らがおニャン子のメンバーだったことは後になって知ったのだが。
ただ、アイドル全盛のこの時代、彼女らのCDの録音には多くの予算が掛けられていたようで、最近のアイドルのCDに比べると録音状態が良く、今聴いても音質調整に使えそうな曲が幾つもある。
悲しい事に最近のアイドルものは録音が酷く、殆ど調整には使えない。
そんなこともあり今はアイドルのもは聴かなくなった。

この頃になると生活も豊かではなかったが、多少趣味にもお金が掛けられる様になっていたので、なかちゃんのオーディオ人生は一気に加速するのである。
ついに泥沼の様相を呈してきたなかちゃんのオーディオ人生。
この後、マルチアンプを行うべく必須となるチャンネルディバイダーと複数のパワーアンプを入手する事になるのだが、この続きはその3にてお話致します。

その2.5
その3に続く